受験勉強の為に塾や家庭教師のお世話になる

親子で乗り切った 思い出の冬

一番思い出の残っているのはやっぱり高校受験ですね。初めての受験でしたので、人生はつのハードル、難関といったのが自分の印象です。中学3年の冬から、初めて塾に通い、受験勉強にはげみました。中学1、2年までは独学で頑張ってなんとかいい成績はとれましたが、受験の広範囲になるとやっぱりちょっとついていけなくなり、塾に通い始めました。受験のシーズンは冬で、すごい進学塾で頑張って勉強しました。正月休みもなく、一日から塾に通いました。冬なので雪も降っており、毎日、親に塾に送り迎えしてもらっていました。いま思うと感謝ですね。塾では、毎日予習復習があたりまえで、次の日の授業に備えて、毎晩遅くまで予習をしていました。難しい問題も、親が一緒に考えてくれて、そのおかげもあり楽しく勉強できた気がします。毎日の送り迎え、毎晩の夜食、一緒に勉強に付き合ってくれたこと。いい思い出です。初めて、ネバーギブアップの精神を学んだような気がします。単に試験を受けるための勉強ではなく、人間としての内面を鍛えてくれるのが受験だと今改めて実感します。夜食といえば、毎晩おばーちゃんが作ってくれるおにぎりとみそ汁がとってもおいしかったです。

英語に関する仕事は今でも私の憧れ

憧れている、あるいは憧れていた職業はありますか?中学のころから英語が好きになり、ぼんやりとでしたが、英語に関する仕事に就きたいと思っていました。英語に関する仕事で、私が考えていたのは、通訳者、中学や高校の英語の教師、翻訳者。でも、大学に進み、自分の性格や英会話の能力、社交性の程度から、通訳者は向いていないとだんだんわかってきました。そのうえ、いとこに家庭教師で英語を教えたり、教育実習に行ったりしたことから、英語が好きということと、教えることとは違う、自分は教えることは苦手だということもわかってきて、英語の教師になることも、自分のため、また、将来自分の生徒となる子どもたちのために英語の教師もあきらめました。つまり、徐々に可能性が狭まってきたというわけです。最後に残ったのは翻訳者"。でも大学のころはその可能性についてはあまり考えていませんでした。通訳者、英語教師の可能性が無くなってきた時点で、就職活動の時に、英語関係の仕事に就くことは頭になかったと思います。事実、就職活動を始めるにあたって、家を出ることは考えていなかったから、家から通える職場としか頭の中に条件はありませんでした。結局、銀行に二年間勤めてから、縁あって見合いで今の主人と結婚したわけです。その何年間かは英語関係の仕事についての興味はほとんど失っていました。ところが、嫁ぎ先の新しい環境での葛藤や、姑との思わしくない関係、主人が休日も忙しいという状態の中で、何かに自分のストレスやらエネルギーやらをぶつける対象が必要になっていきました。そこで頭に浮かんだのは、翻訳の勉強。翻訳者というのも憧れでしたからね。まあ動機は不純といえるかもしれませんが。そのころはまだ預金利率もとっても高かったから、専業主婦で収入はなくても、預金の利息が結構小遣いになり、働いていない身でも、あまり罪悪感なく、利息で通信教育の費用が賄えました。和英、英和の翻訳の勉強をかなりしました。そこでも翻訳者になることは並大抵ではない、翻訳は英文和訳ではないのだと思い知ることになりました。そのうち、育児にもたくさんのお金がかかるようになり、バブルもはじけ、預金利率もどんどん低くなり、まだ翻訳者になる夢は捨てていなかった、インターネットの中で、安い費用で翻訳の勉強ができるサイトを探したり、パソコン通信で翻訳者を目指す仲間の勉強会(参加料無料、資料代のみ)に参加したりしました。でも、ある勉強会の代表者の方から、自分の翻訳文に手厳しい批評をもらった上に、その方のこれだけはという英文の読書量に対して、私の読書量が極端に少ないことに気が付き、また、自分が本当に苦労をしてまで翻訳者になりたいのかどうかを自分に問えというその方のアドバイスに従った結果、翻訳者になる夢もあきらめることに決めました。それはもう数年前の話。それでもいまだに翻訳は、手が届かないけれど憧れの仕事であり続けているのです。だからブログにも英語の記事を書いているわけで…